![]() | 補陀洛山 清浄光院 志度寺 |
![]() | 住所 | 香川県さぬき市志度 | |
TEL | 087-894-0028 | ||
宗派 | 真言宗善通寺派 | ||
ご本尊 | 十一面観世音菩薩 | ||
御真言 | おん まか きゃろにきゃ そわか | ||
ご詠歌 | いざさらば 今宵はここに しどの寺 祈りの声を 耳に触れつつ |
【補陀洛山 清浄光院 志度寺 / ふだらくさん せいじょうこういん しどじ】
四国八十八ヶ所霊場の第八十六番札所。625年草創。681年に藤原不比等が堂宇を増築し「志度道場」と名づけ、693年には藤原房前が行基とともに堂宇を建立。後に弘法大師が弘仁年間にこの寺を巡錫した。謡曲『海人』で知られる「海女の玉取り伝説」が伝えられており、境内には「海女の墓」が五輪塔群として現存する。また、浄瑠璃『花上野誉の石碑』などの舞台にもなっている。
海人(海士)
藤原不比等が亡き父鎌足の供養に奈良興福寺の建立を発願した。唐の后であった妹は、その菩提にと3つの宝珠を船で送るが、志度の浦で龍神に奪われてしまう。不比等はそれを諦めきれず、姿をかえて志度の浦へ渡り、土地の海女と夫婦になり一子房前をもうける。やがて海女は観世音に祈願し、夫とわが子のために命を捨てて龍神から宝珠を取り返したとされる。不比等は海辺の近くに海女の墓と小堂を建てて「死度道場」と名づけた。後に房前は母の追善供養に堂宇を増築し、寺の名を志度寺と改めたといわれる。
海人(海士)
藤原不比等が亡き父鎌足の供養に奈良興福寺の建立を発願した。唐の后であった妹は、その菩提にと3つの宝珠を船で送るが、志度の浦で龍神に奪われてしまう。不比等はそれを諦めきれず、姿をかえて志度の浦へ渡り、土地の海女と夫婦になり一子房前をもうける。やがて海女は観世音に祈願し、夫とわが子のために命を捨てて龍神から宝珠を取り返したとされる。不比等は海辺の近くに海女の墓と小堂を建てて「死度道場」と名づけた。後に房前は母の追善供養に堂宇を増築し、寺の名を志度寺と改めたといわれる。
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